昭和四十三年十二月八日 朝の御理解
御理解第六十二節
「昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれというておるが、神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ。神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。にわかに先生にはなれぬぞ。」
「我身の上におかげを受けて」と、我身の上におかげを受けるという事は、ここはどうゆう風に頂いたらよいのであろうかと。最後に「神信心も手習いも同じ事、一段一段進んでゆくのじゃ」とおっしゃるから、それはおかげにも様々な段階がある。初めてお導きを頂いて、初めて金光様を知った。初めて天地の親神様のお話を頂いた、天地の道理を聞かせてもろうた。初めてお参りをさせて頂いたのに、お願いをさせてもろうておかげを受けたと。
まあそういうところからおかげは始まるのでしょうけれども、そのおかげも段々と本当のいわばおかげという事、本当のおかげとか嘘のおかげとかあるはずは無いのですけれども。
まあどういう風に例えて言ったら良いでしょうねえ。天地の親神様だという事であれば、親神様と私共の関わり合い繋がりというものが、成程親が子だと、こう思われます。確かに親の情をもって私共の上に望んで下さるのです。ですから私共も孔子が親に仕えるように親孝行するように、そんな心持ちで信心をさせて頂けばおかげが受けられる。そのおかげというものは最高のおかげは、やはりお徳を受けるというおかげ。身に徳を受けるという事。
今日申しました、御神訓の中に「神はわが本体の大祖ぞ」と。おやというのは大祖(たいそ)と書いてありますね。大きな祖、大祖(おや)ぞ。「信心は親に孝行するも同じことぞや」信心は親に孝行するも同じこと。だから親孝行するような情をもって信心をしてゆけば、これは必ずお徳が受けられる、親子の繋がりが出来るのですから。ところがここには一段一段上がっていくとおっしゃるのですから、まあ分かりやすく言うならばです、そうですねえ、初めの間は赤の他人のような感じ、初めてお導きを頂いて、こげな事までお願いしてよかでっしょうかと。あんた親子じゃもんどげなお願いでもいいですよと、まあ言うても親子としての実感というものはない。まあ言うならば赤の他人のようなところから信心が始まる訳です。
そしておかげを頂いて、そこにひとつの情を感じるようになる。はあ神様ちゃ有難いという風に分かってくる。そうするとどうでしょうかね、従兄半か従兄位の感じになってくる訳です。段々信心をさせて頂いておると今度はもう従兄とか従兄半位の事じゃない。まあ兄弟のようなひとつの本当に血の繋がりというものを感じるようになる。そこから私はいわゆる成程親だな、親神様だなと分からしてもらえれる、本当な事が分かってくる。
金光様の信心しよれば、皆んながもう親神様と私共の間の事を親だ子だという風に知ってもおりゃ分かってもおるけれども、実際としては分かってない証拠にすぐ消えてしまう。はあ熱心に信心しござる。ええ信心が出来よると思いよると何かの機会にちゃんとやめてしまう。いわば昔から従兄は他人の始まりと言うが、すぐ他人に戻ってしまう。だからそこではちぃっとやそっとのおかげで繋がっておるという事ではいけないという事。ここではちぃっとやそっとの御利益で繋がっておるというような事では駄目だという事。そこで神信心も手習いも同じ事とこうおっしゃる、一段一段と言うておられますから、やはり本気で手習い、いわゆる信心の稽古をさせてもらわなきゃならん。いわゆる手本を見て手本の字を写させてもらおう。何時の間にか段々手習いが出来てくるようになる。良い字が書けるようになるように信心もやはり上達していかなきゃいけん。
「昔から人もよけれ我もよけれ、人より我がなおよけれ」と。ここんところは自分さえよければ良いというようなものではないようですね。まず自分自身が、私は神様本当の親子の情というものが分かるところまで信心を進めて行く、一段一段。
どうでしょうか、皆さんが神様との繋がりというものはどんな程度のものであろうか。 若先生が学院に入っとります時に、ある時こんな手紙をよこしました。「目下神様と恋愛中」という。もうそれこそ夜もなからなければ夜中もない。もう大体学院からは夜中にあそこは出る事は出来なくなっておる。それでも抜けずくごとして、もうそれこそ夜も夜中もないようにしてから教祖様の奥城に出らして頂いて、あのいただの上に座って御祈念をする事が楽しくてたまらん。夜中になると眠られんごとなる。誰かがこうやって手招きしよるごとある。
私は何と言うてもですね、神様がそのような風に感じられるおかげを頂かにゃいけんと思う。ですから血の繋がりというところから入っていくという事は実にやはり難しい事である。これはもう絶対に切れない。血の繋がりをもってするなら、いくらお前はもう勘当だと言うたところでですよ、親子の縁を本当の意味で切る訳にはいかんのです。勘当だと言うたところで、それは只より良くなる為に、そういう激しい言葉を使うだけであって実際はそうじゃない。子供なら子供の方が分かってくれば、やはり親子じゃという事になるのですけれども、そこで私共はまずそういうようにただ今、いわゆる目下神様と恋愛中といったようなところからです、いうなら好きで好かれて結婚という事にもなり子供が出来る。その子供はもう絶対に、夫婦は別れりゃ他人と言うても、子供はどちらにでも繋がっておる。
昨日の晩でした、企画の方達が会合致しております。そこで私も休ませて頂こうと思うたけれども、私に何か聞く事があるかもしれんから、もう遅かったです。もう私休んでもよかじゃろうかと聞きましたら、はあ休んでもよはんなぁですよ、けどもちょいとここんとこだけは聞いといて下さいという訳です。
今度、若先生がここの副教会長としてのお許しを頂いて、先日金光様から書付けが参りました。今まではここの所属教師であった。それが今度副教会長。それがですね、只事務的な事ではありますけども、どうしても副教会長という、それが無いとですね、私の代わりにどこにでも出て行くわけです。それに所属の先生ではね、いわば教会長の代わりにはならんというような声があったんですよ。ですから教会長がでけんなら副教会長が参りましたという事になれば、それで結局教会長の代わりが出来る訳です。
それでその手続きを取ってございましたら、先月ここの副教会長としてのお許しを頂いた訳です。そこで皆さん企画の方達がよりより集まってお祝いしたいという訳なんです。
だからどげんでしょうか、ほんなこて奉徳祭にあわせて、まあせめて紅白の饅頭でも作って神前いっぱいに置こうと思いよりますと。だから有志だけはいくらか金を出して、御直会の先生方帰られた後でですね、まあお祝いの形式的なお祝いだけでもさせて頂こうと思うと。私がまっこうからそげな事はいらんと言うて、私が言うた訳です。今それではのうても大変皆んな信者さん達がお金がいる時だから、そげな事あんた達が本当に思うたんならばひとつ副教会長になった記念に今植樹のあれがあっとうから何か小さい植木でもいっちょ買うてから植木でも記念に植えるようなぐらいの事でどうじゃろうか。
ところがその皆んなが話を大体決めてる訳です。そしたらまぁ秋永先生が私にやかましい事、もう兎に角もう私はほんなこてギャフンと言う事怒られた訳です。そげなこつじゃでけんという訳。それで私も言いました。「あんたがそげなこつばっかり言うちから」ち、もうやりやりです。やりやり言いよりましたらですね、私の信心に響いてくる事がですね、あの「伊勢佐木ブルース」かなんかちゅうのがありましょうが、あの男と女の人が一緒に歌う歌がありますね、テレビで。「女なんて女なんて」かなんかて言う、女なんては、女のごたるもんはもういらんと、こう言う訳です。そればってんですね、ひとりで飲む酒は何か寂しいかなんか最後にあるでしょ。女のごたるもんはいらん、男は男で女はいらんち言いよう。けれどもひとりでおることは寂しい、ひとりで飲む酒はいわば侘しいものだと言うておるという事なんです。
はあ先生、あなたがそげな事ば言うちからと言うて、まるきりもうあんたごとそげな事はでけん。もうぶっきでんいらんもんのごと言いよるけれども、その真偽というものは、いるからこそやかましく言いよるとです。私はやかましく言いながらおかしくなってきた。まあ、その事はあんただんがよかごとしなさいと、まあ言ったような事で、私はもう休みました。
私は秋永先生がもうあんまり喧しやりやり言うもんじゃけん、そんなら賛成で多数決でいこうと。秋永先生が言うとがよかっち思うなら手を挙げなさい、私が言うとがよかっち思うものは手を挙げなさいち。あたしの方は宮崎さんがひとりで(笑)、秋永先生ち言うたら今度は正義さんがひとりしか挙げんとです(笑)。他の者はどっちにしようともしないのです。あんまりやりやり言うもんじゃから(笑)。だからもう結局一対一で、もう決まらんから、私が休んだんです。
昨日総代会にその事を持ち込んで、又総代の方達も絶対多数でですね、多数と言うよりも全員がそのお祝いをするという事で話し合いが決まったようでございます。が、例えばですね、なら私と秋永先生の仲というものがです、それこそ「伊勢佐木ブルース」じゃなかばってん、親先生がもうあげな事ばっかり言う。言うならいらん。そげなこつ言うちから、そげなこつじゃでけん。あんたがそげな事言うちから、そげなこつで今の合楽の信心はそげなことじゃなか。そんなもんじゃないと言うて、意見あい対立してですね、しかも赤と白と言うばってん、今にも別れんばっかりのような、いわばいうなら激論ですけれどもです、その激論というものもです、もうそれこそ女なんてもういらないと言うのですけれども、ひとりで飲む酒は寂しいんだと言うのだと言うのです。
ね、どうでしょうか。ほんなこと先生があげな事言いなったけんで、もう参らんと言うてやめた人がどの位あるのか分かりませんですよ、ここには。本当にそれはお互いがおかげ頂く為には、場合によっては喧しい事もあるし、又は本当に人前であげな事言いなさらんでよかっとろ、それこそ顔がカッカするような事を言われたからと言うてですね、信心をやめた人は、いわば椛目から合楽にかけてどの位あったやら分からない。はあ初めの間は、もうほんなこてそれこそくいとんだごとして信心をしよった人達がそれなんです。結局どういう事であったかと言うとですね、まあ言うならば恋愛中といったようなところは通ったかもしれんけれども結婚というところまでいってなかった。いわゆる鎹、子は鎹という鎹になるものがなかった。私達の信心がです、本当に有難い有難い天地の親神様だと天地の親神様、信心は親に孝行するのも同じ事であるという様な事は話の上では分からして頂いておるけれども、別れりゃ他人と言ったような程度の浅いものじゃなかろうかと検討してみてです、いいや自分な従兄位にあるじゃろう兄弟位にあるじゃろう。それこそ目下神様と恋愛中といったようなです、ちったぼうけちゃるとじゃなかろうかと言う位に神様に打ち込まさせて頂いてです、本当の結婚、言うなら本当の結ばれというものが出来て、そこから言わば子は鎹というようなおかげ。そうゆうおかげを、私はここではこうゆう風に説明してあると思うのです。
まず我身におかげを受けてという事は、もう切っても切る事の出来ないところ迄のおかげを受けてでなからなければ人を助ける事も出来なければ、人より我はなおよけれと言うおかげではない。金光様が自分さえよかりゃよかといったような事を教えなさるはずはないですから、ここは何かそうゆう響きがありますけれども、人より我はなおよけれというのは、そうゆうおかげを受けてという事であると、こう思う。
勿論おかげにも段階がある。一段一段とこうおっしゃっておるから、一段一段信心の手が上がっていくのである。それを例えて言うならば形の上ではです、一月一遍しかお参りがでけよったのが、もうどんな事があってもやはり月次祭だけはとか、いいやもう兎に角お日参りだけは私の終生の、一生涯これだけは続けさせてもらうとか、いよいよ神様と濃ゆうなっていきよる。
昨夜の総代会、御祈念終ってから、私はもうお話も一段落しとりましてから行ってから総代さん達に、まあ頼むように話したんですけれども。折角総代さん方がね、本当にこのようないわば良い信心がお互い出来よう、これだけの良い信心が出来ようのだから成程総代会は全てのここである会議の一番手本にも見本にもなるようなです、せめて形の上だけでも、いや信心はでけておるのであるから形の上の事もでけなければいけませんよと。他の会合に総代会はこうだと言えれるような、ひとつ手本になるような信心をしてほしいんだと。それにまず総代会には、総代全員が顔を寄せれるようなおかげをまず頂いて欲しい。総代会といや八時すぎ頃から皆んなが集まってきて一寸その部屋へ行ってそこで話し合いをする。
例えば北野の秋山さんのように総代会の時ぐらいしか出てこれない総代もあるのだ。だからせめてその日ぐらいは御祈念が頂けるような方法はなかろうか。そんならば九時ぐらい御祈念の時間位から集まってくるんじゃなくて一時間早く集まってくる。いわば八時に集まる。その気になればでけんはずはない。八時に集まってらっしゃい。そして一時間教義をしなさい。そして九時から総代揃うて御祈念を頂きなさい。そしてその御祈念が終ったら十時から十一時迄なら十一時迄の一時間を信心共励をなさい。もうこれがきちっとでける。いわば他の会の模範とも手本ともなるようなです、おかげを総代がまず、いやこれだけの信心が銘々個人バラバラではでけておるでしょうがて。合楽の総代さん方はこれだけの信心がでけておるでしょうが。これだけの信心がでけておるのにです、これがでけんというようなことではいかん。手本なんだ。してみると会合を八時からにもたしてもらって一時間を教義であり、九時から御祈念を皆んなで一緒に頂いて総代揃うて御祈念を頂き御理解を頂いて、それから又一時間なら一時間を共励、しかもこれは総代全員が集まっての事になるようなおかげを頂きなさい、ひとつそういう風に。なら、この来春からそういう風にさせて頂こうという風に皆さん言うて下さったんですけれども。
ね、ひとりひとりの上にはこれだけの信心が出来ておるのだからです、総代であり月に一回の総代会には、それが言うならば手本のように出来るように、もう一段と信心が進まなければいけませんという事なんですよ。信心が一段一段、これは形のこと。内容の事に於いては一段一段、従兄位の繋がりから兄弟のような繋がりになり、兄弟のような繋がりから本当に親子のような繋がりが出来てくる事こそ、私は初めてお徳というのは頂かれるのだという事。
神は我が本体の大祖ぞ、信心は大祖に孝行するも同じ事である。そこから初めてです、親に孝行するような情の細かいというか、情の篤いというか、そういう信心が出来るようになる。そして初めて私はお徳が受けられる。
ですから、これは勿論ひとつの例えですから、そん為には先ず私共がです、何も分からないところから信心の入信のおかげを頂いて、只おかげを受けて、いわゆる御利益を受けて神様の実在を認めさせてもらい分からせてもらうようになり、お話を頂けば頂く程、自分の心の中に入ってくるその御教えというものがです、もう一日聞かねばそれこそ千日のといったような思いが生れてくるようになる。兎に角二日もお参りせんなら、いうなら四十八時間も逢えんのだ。とてもそんな事はでけんと、それは恋愛の情のようなものが生れてくる。目下神様と恋愛中だ。
そういう信心が段々身に付いてきてです、それをお互いが本当におかげ頂く為に、場合にはそれが親子であるためにです、いわば心安うまぎれんです。本当にこれがこれの方がおかげだと、いわゆる言を戦わせるような事もあろうけれどもです、その底に流れるものは、やはり道を思い教会を思い、言わば信者の一人一人がおかげを受けんならんけん言いよるとばいと言うような事にもなってくるかもしれんけれども、お互いに心と心の中に引き合うもの、この人がおらなければ出来ない。いや自分の師匠はもうこの人以外に無いと思うからこそ、例えば秋永先生と私の昨日の晩の例じゃないですけれども、強烈な、そうゆう引き合うものがあって、そこから生れてくる情。「我身の上におかげを受けて」というのは、そうゆうおかげを受けていく事だと私は思う。自分自身が別れりゃ他人といったようなですね、信心しよってから人を導き人を助けられるといったような事はとても出来ん。
「俄に先生にはなれんぞ」と。そんならそれがです、一番初めからそれが出来るとは思われない。そこんところを一段一段信心を進めて参りまして、身に徳を受けさしてもらえるような信心に、ひとつ進んでいかなければいけない。心の上に、例えばそうゆうような本当に切ろうとしても切られない血の繋がりのようなものを実感として感じられるようなおかげを頂きます課程というかね。
いよいよ信心にお互い打ち込ませて頂いて、本当に尽きぬおかげを頂かせてもろうて、言わば御縁が成程、尽きぬおかげを頂くなら、御縁が尽きるはずがない。その為には私共が尽きぬおかげに繋がらなきゃいけん。
昨日私、四時の御祈念をさせてもらっておる時に頂きます事が、温泉が、温泉のお風呂が野外での岩風呂みたいなのがいくつも、こう出来ておるところだった。中には全然水も入ってないお湯も入ってないという感じ。そうゆうのがどんどん出来ていきよる。どげなこつじゃろうかと思うて御理解を頂かせてもらったら、頂きます事がですね、ここにこうやって温泉を作るという事。ここにこうゆうお広前を建立したという事。こういうお広前が出来上がったという事は、もうここなら絶対打ち込みさえすりゃ絶対お湯が出るという見極めがついたから、これがでけたんだと。こうゆう例えば立派なお広前が建立されたでけたという事は、もうここでは絶対人が助かる事が出来るという見極めがついたから、こうゆうお広前が出来たんだとゆう事。
ですからここにはいくら打ち込んだっちゃ、それこそ水も出らんかもしれん、例えばお湯なんか全然出らんかも分からんけれども、ここにはもう絶対打ち込見さえすりゃあお湯が出る事が分かったから、温泉の設備が沢山出来ていきよるのだという事。いわゆる打ち込まなければいけん。一段一段打ち込んでいかなければいけん。そこから尽きぬ限りの無い温泉が湧くように頂ける。
そうゆうおかげを頂く。打ち込む事によってお徳を受ける。尽きぬおかげが頂けて初めてです、本当の成程、この神様は親神様であるという情感と同時に、尽きぬおかげが頂かれる。これだったら誰が何んと言うても切れようと言うても、切られるもんでもない。先ず私共が本気で、ここになら打ち込んで間違いないというものをです、皆さんが見極めて下さらなければ打ち込めません。
昨日、一昨日でしたかね、久留米の石橋梅次さんという九州きっての名人である庭師の方がここにみえられて、もう七十にもなられます。ですから、もう一生一代の名園を造ろうと、合楽のここに。そん為には今ここに造ってある庭を全部崩して埋めるか、それでなら私がそれをやらせて頂こうという事になった。どうぞお願いしますと。正月の五日か六日頃から始めようという事になった。それであんまりその献木献木と言いよんなさるばってん、あんまり様々な木を集めてもらっても困る。だからそれは全部、ひとつ献木をなさるならば献金の方にしてもらって必要な石を必要な木を求められよんなさったらええと言うて、ヒントを与えて下さった。
けどもこれだけは寄せといて下さいと言うてあった。それはね、大きな何と言うですか、何とかツツジでしたねあれは、何ツツジでしたかね。淀川というツツジの種類であった。兎に角どんなに大きくてもいいから、大きいとをひとつ探して下さいと。さぁーち言うても、ここへんの植木屋にもない訳、そんな大きなのは。だから、それを探しておくようにという事を言うちゃったです。
私、昨日ですね、私四時の御祈念中に熊本から参って来ました山田先生が、信者さん達を連れてから、皆んな参ってきてから、あのうツツジを持って来ておりますから、どなたか手伝うて頂きたいと。丁度人出が無かったから久富先生が降りて行かれました。一人二人おって頂きゃいいです。ジンブロックを持って来ておりますからち、ジンブロックを使わなければならないツツジですからち。まあ降りて見てからたまがったです。ほんなこと八畳敷いっぱいぐらいあります、こう広げて。えんざいが六畳敷いっぱい、こう絞ってあって。どうしてもあそこに植えんならんとじゃろうから、兎に角庭の方へ運んでもらおうと言うて、やまん所に降ろさせて頂いたんですけれども。人間の力ではどうも、例えば持って来られるツツジじゃない。そりゃもう後から見て御覧なさい。そりゃもう見事なツツジです。ほおぅ昨日の言葉ですからね、昨日一昨日梅次さんが言いよんなさった事が熊本迄聞こえたことばいなと言うてから喜び合った事でございました。
成程ここになら打ち込めばおかげが頂けるというような事は、そうゆう生きた神様の働きを見たり聞いたりしてからですから、皆さんがどがしこ打ち込んでもよかと、私は確信を以て打ち込まにゃいけんと思うです。ちぃーと打ち込めば又他のとこ打ち込む、そんな事ではでけんです。本気でひとつ打ち込ませて頂いて、そこから尽きぬおかげを頂かせてもらうようになって初めて切ろうにも切られない、切れるはずが無いというような信心を身に付けていきたいと思うですね。どうぞ。